近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉上野の山の桜見物の散策に行き合う若い男女。二人連れの女性は「年十八九書冊と覚しき包みを抱え語る言葉も媚(コバ)めかぬは学校の生徒らしく形装(ミナリ)は華美(ハデ)ならねど賎(イヤ)しからず」とある。女学生の袴が一般化したのは1900年代(ほぼ明治30年代)になってから(→年表〈現況〉1900年1月 弥生山人「随感随筆」東京朝日新聞 1900年1月7日7面)。初めのうちの女学生は、同年代の一般の娘とそう変わった恰好をしてはいなかった。下町から通う女学生は縞のきものに黒襟を掛け、ここに見るように、きものの襟は広く開けて大きく半襟を見せている。髪は年齢によってさまざまだが、西洋風束髪の出現以前は、二十近ければ銀杏返し、唐人髷が多かった。男性は中折でなくホンブルグ風の丸帽が好まれ、若者でもステッキを用いる人が多く、蝙蝠傘もその代用のように携帯されたらしい。(大丸 弘)
ID No. C12-082
出典資料 今日新聞
発行年月日 1885(明治18)年11月9日号 3面
画家・撮影者 尾形月耕(1859-1920)
小説のタイトル 古川の燐火(ふるかわのおにび)(11)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D014:[若い男(20歳前後~30歳前後)]
D2ni:[日本髪一般]
Vhan:[半襟]
Vka:[掛襟]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D6se:[洋装;西洋化;西洋観;ハイカラ;西洋かぶれ;開化ぶり;西洋憧憬]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
Wge:[下駄;クロッグ]
Wkas:[傘]
時代区分・年代 19世紀後半;1879(明治12)年
国名 日本
特定地域 東京;上野
キーワード 花見;竪縞のきもの;黒襟;日傘;ホンブルグ風の丸帽;のめり下駄;洋傘;蝙蝠傘;こうもり傘
男女別 男性;女性
体の部分 全身