近代日本の身装文化(身装画像)
説明 島田の髷の高さはいろいろで、嫁入りの日の文金高島田など、晴れの日にはずいぶん高く盛り上げて結い、単に高髷ということもあった。芸者もお座敷に出るときは、原則として島田以外の髪は結わないが、しかしこの高髷では踊りもおどれないから、芸者の結う島田はこの絵のような髷の低い芸者島田か、中の窪んだ潰し島田だ。芸者が髷の根を下げ低くするのは、その方が仇っぽいためでもある。日本髪の髪型が限られてきたために、その髪型の中での変形が増えたということだろう。だから同じ芸者島田でも、上方と東京では違うし、同じ東京でも見る人が見れば、新橋と柳橋、また吉原の芸者は違っていたという。それは帯のお太鼓の形でも同じこと。左の小柄な女性は、この時代では老婆のうちに入る五十過ぎの女、この髪は丸髷。(大丸 弘)
ID No. C11-012
出典資料 都新聞
発行年月日 1904(明治37)年3月6日号 1面
小説のタイトル 実話 悪縁塚(107)
作者 橋本埋木庵(生没年不詳)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7ge:[芸者;半玉;舞妓]
D2sim:[島田;高島田]
D006:[初老の女性(40~50歳代)]
D2ma:[丸髷]
時代区分・年代 19世紀後半;1878(明治11)年
国名 日本
キーワード 芸者島田;黒襟;横顔;側面;後ろ姿;背面
男女別 女性
体の部分 全身