近代日本の身装文化(身装画像)
説明 浅草の裏長屋に住む母と子。米屋をしていた父親が長患いの末に死んだあと、女房は人の家に雇われ、倅(セガレ)は提灯屋に奉公していたが、その提灯屋が潰れてしまい、いろいろ職を変えた末、いまは工作局出張所の手伝いに雇われている。朝は四時に出勤し「帰宅すると其形(ソノナリ)で水を汲むやら翌日焚く米をとぐやらして親の手助けをする」 という孝行息子(二十歳)の話。五十七,八という母親の髪は、茶筅(チャセン)のようにも見えるが小さな丸髷だろう。既婚女性は髪の毛が許すかぎりは丸髷を結うが、四十歳以上になると髷をはじめ髪全体が著しく小さくなる。また前帯をしているがこれは中年以上の風で、この時代では古い習慣といえる。上方では前帯、すなわち抱帯は儀礼化して、その習慣を守る人が昭和期まで見られた。米を炊いでいる孝行息子はズボンは脱いでいるが、そのなりでと断っているのだから、役所通いはこの詰め襟型の上衣なのだろう。このころから官庁の吏員にだんだんと洋服出勤を義務づけるようになるが、小使いや守衛、給仕のような人々については、出費が過重にならないようにとの配慮も見られた(→年表〈事件〉1880年10月 「給仕の洋服」東京日日新聞 1880年10月27日2面;→年表〈事件〉1882年1月 「小使の服制」東京日日新聞 1882年1月13日4面)。(大丸 弘)
ID No. C10-040
出典資料 東京絵入新聞
発行年月日 1877(明治10)年9月21日号 3面
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D006:[初老の女性(40~50歳代)]
D2ma:[丸髷]
Vob:[帯]
Wmae:[前掛;エプロン;割烹着]
D014:[若い男(20歳前後~30歳前後)]
D2ot:[男の髪型]
時代区分・年代 19世紀後半;1877(明治10)年
国名 日本
特定地域 東京;浅草
キーワード 前帯;詰襟;斬髪;散切り
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥