近代日本の身装文化(身装画像)
説明 この年の3月頃、播州加古郡土山村というところを人力車に乗って通りかかった旅人の前に、「母親が病身のため乳が出ず、生んだ子を養育できないからなにとぞ貰っては呉れまいか」と、梶棒にすがって頼む百姓の夫婦があった、という話。骨格となる事実以外はすべて記者の想像で肉付けられ、多少絵心のある記者の筆先になる素人絵、というのがこの挿絵。向こう鉢巻きをして梶棒を曳いているのは、土地の農夫の姿を描いているのだろう。1872(明治5)年に東京・横浜間の鉄道が開通して以後、東海道にしても1889(明治22)年に新橋・神戸間が全通するまでは、部分部分では鉄道以外の交通手段によらなければならない期間があった。大阪・神戸間の開通は1874(明治7)年でかなり早かったが、加古川を含む姫路までの延伸は十年以上後のこと。鉄道の普及で旅行がさかんになっただけに、鉄道路線の空白を補う手段も賑わったと考えられる。乳飲み子を抱いて袖を絞っている母親の着ているのが、百姓にしてはひどくたっぷりしているところをみると、乳は出ないながらそれほど貧しい暮らしの者でもないらしい。(大丸 弘)
ID No. C08-018
出典資料 平仮名絵入新聞
発行年月日 1875(明治8)年5月10日号 1面,2面
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G790:[人力車]
D4ji:[人力車夫]
Whac:[鉢巻;ヘッドバンド]
D000:[乳児;赤ん坊]
時代区分・年代 19世紀後半;1875(明治8)年
国名 日本
特定地域 播州;兵庫;加古郡;土山村
キーワード 百姓夫婦;向こう鉢巻き;ブランケット;ケット;膝掛け
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥