近代日本の身装文化(身装画像)
説明 島田の髷の高さはいろいろで、嫁入りの日の文金高島田など、晴れの日にはずいぶん高く盛り上げて結い、単に高髷ということもあった。芸者もお座敷に出るときは、原則として島田以外の髪は結わないが、しかしこの高髷では踊りもおどれないから、芸者の結う島田は髷の低い芸者島田か、この絵のような中の窪んだ潰し島田だ。芸者が髷の根を下げ低くするのは、その方が仇っぽいためでもある。日本髪の髪型が限られてきたために、その髪型の中での変形が増えたということだろう。だから同じ芸者島田でも、上方と東京では違うし、同じ東京でも見る人が見れば、新橋と柳橋、また吉原の芸者は違っていたという。それは帯のお太鼓の形でも同じこと。(大丸 弘)
ID No. C08-001
出典資料 都新聞
発行年月日 1896(明治29)年1月8日号 1面
小説のタイトル 菅屋お婦美(4)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7ge:[芸者;半玉;舞妓]
D2sim:[島田;高島田]
Wge:[下駄;クロッグ]
D3su:[裾;褄;端折り;からげ]
時代区分・年代 19世紀後半;1875(明治8)年
国名 日本
キーワード 潰し島田;つぶし島田;褄取り
男女別 男性;女性
体の部分 全身