近代日本の身装文化(身装画像)
説明 この高島田の娘のように、なじみの薄い目上のひとの家を訪問したときなどには、こうした古風な褄の扱いがうつくしくも、また礼儀にかなっていたとも思える。褄外れということばもあって、ほんらいはこうした前裾の扱い様を言ったのが、やがて立ち居ふるまい全般を意味するように変わっていった。それもこの時代のひとにとって、立ち居の際の褄のあしらい方がいかに重んじられたかを暗示している。
 襲(かさね)のきものは、三枚襲であれば上着、合着、下着の三枚をそれぞれに打ち合わせるのがほんらいの着方であり,上品であって、これは男もかわりない。この娘のきものは曳いている長さがあるようだ。
ID No. C05-014
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1894(明治27)年6月24日号 5面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 文塚(8)
作者 幸堂得知(東帰坊)(1843-1913)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2sim:[島田;高島田]
D3su:[裾;褄;端折り;からげ]
D3ut:[打合せ;襟あき;ぬき襟]
時代区分・年代 19世紀後半;1872(明治5)年
国名 日本
キーワード 窓ガラス;火鉢;着流し;竪縞のきもの;格子のきもの;黒襟
男女別 男性;女性