| 説明 | 〈遡及資料〉雪駄直しの十六歳の少年がはじめて賭場に足を踏み入れたが、盗んできた元手の二十五両をたちまち巻き上げられ、着ているきものまで脱いだところを、親分の姐御にたしなめられる。まだ前髪のある寅吉は紺の腹掛と手甲だけ。手甲は左右が紐でつながってそれを首に掛けるようにできている。姐御の髪はいわゆる達磨返し風。この種の髪にあまり決まった形を求めるのはまちがいだろう。『守貞謾稿』(1837年~)の達磨返しではこれほど髱(タボ=後ろ髪)が突き出ていないが、それはもちろん髪の多いか少ないか次第。眉を落としているのは、この時代では当然。[新聞雑誌]にはじめて、既婚女性の眉剃りお歯黒を禁ぜよとの意見が現れたのは次の年(→年表〈現況〉1871年7月 「既婚女性のお歯黒・眉剃り」新聞雑誌 1871年7月)。また、眉剃り・お歯黒を批判した福沢諭吉の『かたわ娘』は三年後。(大丸 弘) |
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| ID No. | C03-009 |
| 出典資料 | 都新聞 |
| 発行年月日 | 1899(明治32)年1月12日号 1面 |
| 画家・撮影者 | 富岡永洗(藻斎永洗)(1864-1905) |
| 小説のタイトル | 近世実話 五寸釘寅吉(8) |
| 作者 | 伊原青々園(伊原敏郎)(1870-1941) |
| 資料タイプ | 挿絵 |
| 身装画像コード | D013:[少年(ほぼ中学生の年頃(12~15,16歳))] Wte:[手袋;手甲;腕覆い] D4ya:[やくざ;博徒;ギャング] D2ni:[日本髪一般] D1me:[眼・眉毛周辺の状態(眼・睫毛・眉の化粧)] D1ka:[髪飾り(櫛,簪,リボン)] Vka:[掛襟] Vhat:[半天;どてら] |
| 時代区分・年代 | 19世紀後半;1870(明治3)年 |
| 国名 | 日本 |
| キーワード | 親分の姉御;達磨返し風;だるま返し風;眉落とし;黒襟;腹掛け |
| 男女別 | 女性;男児 |
| 体の部分 | 全身;上半身 |