近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉第1回にこの物語の発端は1869(明治2)年とあって、画面もその時代。邏卒(ラソツ)は東京府でこの年10月に三千人が任命されたが、邏卒の制服が制定されたのは1874(明治7)年(→年表〈事件〉1874年2月 「巡査の制服制帽制定」郵便報知新聞 1874年2月13日1面)なので、この服装は誤り。武器についても最初は三尺ほどの警棒を持たせていたため、陰では三尺棒と呼んで馬鹿にする者もいたようだ。邏卒が巡査と呼称を変えるのも1874年。(大丸 弘)
ID No. C02-021
出典資料 大阪毎日新聞
発行年月日 1883(明治26)年11月10日号 4面
小説のタイトル 乱咲真垣菊(みだれざきまがきのきく)(17)
資料タイプ 挿絵
時代区分・年代 19世紀後半;1869(明治2)年
国名 日本
男女別 男性;女性
体の部分 全身