近代日本の身装文化(身装画像)
説明 〈遡及資料〉河内国枚方に大水害のあとの仮住まいをする一家の物語。1868(明治元)年のこととはっきり断っているとはいえ、地方の、小商人の生活には江戸の時代となんの変化も生じていないだろう。この場面の具体的な説明は本文の中にはないが、片方の草鞋(ワラジ)が式台の上に置いてあるので、これから旅に出るところかと思われる。芥子(ケシ)坊主の子どもふたりが父親にまといつき、眉を落とした女房が脇差(ワキザシ)を手渡そうとしている。武士でなくても、長旅には用心の道中差(ドウチュウザシ)は許されていた。土間の土壁には番傘が二本吊してある。股引に紺の脚絆と刺子の足袋、草鞋履き、という旅、もしくは山登り装束は、明治期を通じ、けっこう長く続くことになるが、紙張り竹製の和傘だけは早くに姿を消し、軽くて細身の持ちやすい蝙蝠傘に取って代わられる。(大丸 弘)
ID No. C01-026
出典資料 改進新聞
発行年月日 1884(明治17)年8月31日号 3面
小説のタイトル 三人娘開花彩色(6)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G023:[日本式玄関構え]
D5ry:[旅装;旅姿;旅装束]
Vta:[足袋]
Wzo:[草履;草鞋]
D001:[女の幼児(だいたい就学以前)]
D012:[男の子(小学生くらい)]
D2:[ヘアスタイル]
D1me:[眼・眉毛周辺の状態(眼・睫毛・眉の化粧)]
Wkas:[傘]
Wge:[下駄;クロッグ]
時代区分・年代 19世紀後半;1868(明治元)年
国名 日本
特定地域 大阪;枚方
キーワード 芥子坊主;眉落とし;番傘
男女別 男性;女性;女児