近代日本の身装文化(身装画像)
説明 訪ねてきた友人と将棋を指す男。研修中の若い医師で、この家は養家の和歌山から出てきて、東京に住んでいる間の住まいだが、ふだん使っていないという部屋にも籐椅子のセットが置いてあって、けっこうゆとりのある生活らしい。和服の上に黒襟の掛かった丹前様のものを重ねている。相手が心安い人間なのでそんな物を着ているのだろう。家で和服という習慣は、戦災で家もきものも焼けてしまうまでは余裕のある階層には維持された。余裕というのは、主婦が良人の身の回りの世話にじゅうぶん時間が取れる、というのが最低の条件。軍需産業景気のため、もう以前からなり手の少なくなっていた女中さんの供給が激減した。呉服商品の供給自体はまだそれほど逼迫してはいなかったし、これまでに買い込んできたとくに贅沢品が、箪笥の中にうなっている家庭も多かった。この時代、そんな家の男は、外出には結城紬、家にいるときには気に入った大島、というのが標準的な好みだったらしい。(大丸 弘)
ID No. B15-024
出典資料 東京日日新聞
発行年月日 1938(昭和13)年4月1日号 7面
画家・撮影者 嶺田弘(1900-1965)
小説のタイトル 家庭日記(39):茶の間と応接室(2)
作者 吉屋信子(1896-1973)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4is:[医師;看護婦;病人の世話をする人]
D5ka:[家庭着;アッパッパ;簡単服]
Vka:[掛襟]
H31:[椅子と、安座を目的とする部屋]
時代区分・年代 20世紀前半;1938(昭和13)年
国名 日本
特定地域 東京
キーワード 将棋;籐椅子;医師;丹前;黒襟
男女別 男性
体の部分 上半身;坐臥