近代日本の身装文化(身装画像)
説明 男と別れて、行くところの当てもなく、子どもを背負って横浜の波止場近くをさまよっていた女が、女給時代の同僚で、いまは洋妾(ラシャメン)をしている女に出会う。負ぶい紐だけで男の子を負ぶった女は、首筋のところでつくね髪。負ぶわれている子はセーラー服に正チャン帽子。左の女はツーピースの中国服の上着である大襟の襖子に、ふつうのスカートを穿いている。かなり踵の高いハイヒールを履いている女は、上着をチャイナ風にしているだけだが、耳の辺りまでの断髪も、耳輪も、チャイナ風と言えないことはない。1912年の辛亥革命以後、中国は政情不安定の間に風俗の近代化が急速に進み、とりわけ女性の自立は日本の現状をはるかに超える勢いだった。昭和初期の日本女性の断髪には、この中国女性のイメージがだぶることがあった。中国女性の断髪は欧米風に鏝を当てることがあまりなく、また前髪を垂らすことを好む――という特色がある。中国服――この時代の言い方でいえば支那服、の日本での流行は短い期間で、1927(昭和2)年頃からせいぜい四,五年のことだった。(大丸 弘)
ID No. B06-119
出典資料 都新聞
発行年月日 1929(昭和4)年5月23日号 1面
画家・撮影者 代田収一(1880-1958)
小説のタイトル しかも彼等は行く(48)(8(3))
作者 下村千秋(1893-1955)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D005:[20~30歳代の女性;年増]
D011:[男の幼児(だいたい就学以前)]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D2da:[女性断髪]
Wmi:[耳飾り]
D6ch:[中国・支那服;シノワズリー]
Wkut:[靴;サンダル;靴修理;靴磨き]
時代区分・年代 20世紀前半;1929(昭和4)年
国名 日本
特定地域 神奈川;横浜
キーワード おんぶ;正ちゃん帽;セーラー服;娼婦;洋妾;ラシャメン;中国服;支那服;ハイヒール
男女別 女性;男児
体の部分 全身