近代日本の身装文化(身装画像)
説明 冒頭にあるように、この物語の発端は日露戦争(1904年,1905年)以前で、この情景も風俗は遡及されているはずである。それにしては娘の束髪が大きすぎるのではないだろうか。その時代は長らく下火だった束髪がまた息を吹き返し、花月巻の流行り出した頃だった。いずれにしろ梳き毛たくさんのこんな巨大な束髪はあと十年も経たなければ出てこないから、熟練の井川洗厓にしてはうっかりミスだろう。その時代ならこの母親のように眉を落とした人はいくらもあったにちがいない。髷も鬢(ビン=横髪)も年相応に小ぶりだが、とりわけ前髪がないと言ってもよいくらい小さく平べったい。これは幕末から1870年代(ほぼ明治10年まで)にかけての流行で、老女はその娘時代のスタイルを守っているのである。(大丸 弘)
ID No. A21-081
出典資料 都新聞
発行年月日 1921(大正10)年4月18日号 5面
画家・撮影者 井川洗厓(1876-1961)
小説のタイトル 仇花実花(あだばなみばな)(1)
作者 長者丸
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2hi:[束髪(庇髪など、後期平型の)]
Vhao:[羽織]
D1me:[眼・眉毛周辺の状態(眼・睫毛・眉の化粧)]
H6:[和座敷一般]
時代区分・年代 20世紀前半;1921(大正10)年
国名 日本
キーワード 眉落とし
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥