近代日本の身装文化(身装画像)
説明 この日の最後に「秋から冬に掛けての夜長になると、何か新しい刺激はないかという風に、かれはあちこちの寄席なぞを漁り歩いた」とあるのに対応した挿絵。この時代は東京でも寄席の数が目立って減少していた時期だ。以前なら各町内にひとつとはいわないまでも、たとえばここで主人公のいた神田区には、1897(明治30)年には十一軒の寄席があった。それが震災(1923年)前には二,三軒に減っていた。震災後の凋落はもっとひどい。理由は簡単で、活動写真の人気に押されたためだ。挿絵は下谷広小路の鈴本亭を写生したものらしく、呼び込みの若い衆の半天が見える。木戸銭はこの時代だと十銭止まりで、場末の席だと三銭くらいのもあったようだ。娘義太夫のフィーバーはもう終わっていたが、しんみりと聞かせる人情話が衰えたというように、その後遺症は残ったといえるだろう。(大丸 弘)
ID No. A19-048
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1919(大正8)年12月24日号 6面
画家・撮影者 池田輝方(1883-1921)
小説のタイトル かくれ沼(61)
作者 中村星湖(1884-1974)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G40:[劇場;映画館;芝居小屋;寄席]
時代区分・年代 20世紀前半;1919(大正8)年
国名 日本
特定地域 東京;下谷広小路
キーワード 鈴本亭