近代日本の身装文化(身装画像)
説明 馬車が運行しはじめたのも鉄道に比べてそれほど以前ではなかったから、鉄道の敷設に追われるようにして乗合馬車は消えていった。1910年代に入ると乗合自動車の運行がそれに追い打ちをかけた。結局、乗合馬車がいつまでも残ったのは、鉄道や自動車では採算がとれないような、乗客の少ない山間や辺鄙な土地だった。それだけに乗合馬車には侘びしさと同時に、呑気さもある。車体を軽くするためもあって、全体が窓部分になっているから冬はずいぶん寒かったろう。曳く馬はふつう一頭なので馬の疲労は大きく、急な坂のあるところは運行できなかったようだ。こんな乗り物でも通行人に危険がないわけではないのと、ひとつには途中で客を拾うために、馭者がトテチテタとラッパを吹いたので、トテ馬車という愛称があった。(大丸 弘)
ID No. A19-042
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1919(大正8)年11月16日号 6面
画家・撮影者 池田輝方(1883-1921)
小説のタイトル かくれ沼(23)
作者 中村星湖(1884-1974)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード K0:[道;道沿いの景観]
G74:[馬車]
時代区分・年代 20世紀前半;1919(大正8)年
国名 日本
キーワード 乗合馬車;トテ馬車