近代日本の身装文化(身装画像)
説明 ある漁村の夏の日、若者二,三人が額を寄せて議論をしている窓に、「華美(ハデ)な大模様の浴衣を着ている腰から上を全く現す」のは村娘のひとり。大模様と言っているのは中形染めのことで、関西その他では東京浴衣などと呼び、明治中期ごろから全国的に普及した。しかしその時代は藍染め以外はまずなかったろう。「帯は新しい綿縮(メレンス)で、頭は庇髪(ハイカラ)に結っている」。メリンスは毛織物で染色が鮮やかだったため、若い女性や少女の衣料に喜ばれた。綿縮というのは、そのあまり滑らかでない手触りから、そう思われたため。庇(廂)(ヒサシ)を出す出さないにかかわらず、束髪をハイカラと呼ぶ習慣がはじまったのはこのころからで、太平洋戦争後まで続いている。(大丸 弘)
ID No. A10-019
出典資料 大阪朝日新聞
発行年月日 1910(明治43)年6月12日号 4面
小説のタイトル 悲しき恋(13)(6)
作者 本田美禅(1868-1946)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2hi:[束髪(庇髪など、後期平型の)]
Vyu:[ゆかた]
Wzo:[草履;草鞋]
時代区分・年代 20世紀初め;1910(明治43)年
国名 日本
キーワード 庇髪;ハイカラ;中形染め浴衣;ぞうり;素足
男女別 女性
体の部分 全身