近代日本の身装文化(身装画像)
説明 帰宅して着替える夫とその世話をする妻。ストーリーとは関係ない。この時代には和服で通勤するサラリーマンも、小数ながらいた。それを認めない官庁や企業も多かったし、就業規定にはなくても、不自然なものになっていた。官庁によっては病気のときにかぎって和服願いを出させて許可するところもあった。出版社や新聞社などにはかなり後まで和服通勤の人間がいたが、その場合は袴を穿くことで認められたようだ。この夫は銀行のトップで、紋付の羽織袴ということではだれも文句のつけようがない。文中にもあるように妻は夫の脱いだ羽織を手早く畳み、それからいま夫が脱ぎかけている袴を畳む。この夫は袴の下は兵児帯。ほんらいなら角帯であるべきだが、袴下では見える怖れがないし、兵児帯の結び目の方が、袴の腰板がのせやすい、ということもあるかもしれない。武士などは袴を取れば、下のきものはそのままで、食事もその紋付きもので摂るのがふつうだった。(大丸 弘)
ID No. A09-032
出典資料 大阪朝日新聞
発行年月日 1909(明治42)年10月8日号 4面
小説のタイトル 三十年(48)
作者 大江素天(1876-1950)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2hi:[束髪(庇髪など、後期平型の)]
Vhao:[羽織]
Vob:[帯]
Vham:[袴(男性)]
Vta:[足袋]
H000:[照明;照明具(一般)]
時代区分・年代 20世紀初め;1909(明治42)年
国名 日本
キーワード 銀行員;着替え;兵児帯;行灯
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥