近代日本の身装文化(身装画像)
説明 「ときは明治九年三月の花時」とあるので三十年ほどの遡及ということになる。馬車中の人は当時参議の木戸孝允。西洋風の礼装は、すでに1872(明治5)年の太政官布告によって整備されていたから(→年表〈事件〉1872年11月 「官吏の礼装」1872年11月)、高官たちの、とりわけこの絵のような大礼服を身につけての参内風景はひとつの見もので、その日は二重橋前にたくさんの見物人が群衆した。ただしこうした大礼服着用は、新年参賀とかのごくわずかな日で、通常の参内はシルクハットの通常礼服でよいのだから、三月花時に外国公使の参朝でもあったのか。馬車に向かって挨拶している切下げ髪の女性は、じつはもと旗本某の女装。色はわからないが濃い色調の、おそらく紫系統の色の被布を着て、下に小紋柄のきものの襟が覗いている。もともと小紋は武家世界の重んじられた柄で、維新後は一時まったく廃っていた。(大丸 弘)
ID No. A08-106
出典資料 都新聞
発行年月日 1908(明治41)年8月9日号 3面
画家・撮影者 井川洗厓(1876-1961)
小説のタイトル 女ざむらい(120)(下)
作者 渡辺黙禅(1870-1945)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード G74:[馬車]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
D2:[ヘアスタイル]
Vhi:[被布]
時代区分・年代 19世紀後半;1876(明治9)年
国名 日本
特定地域 東京;二重橋
キーワード 大礼服;切り髪;切下げ髪;小紋のきもの;お辞儀(おじぎ);挨拶
男女別 男性;女性
体の部分 頭部;全身;上半身