近代日本の身装文化(身装画像)
説明 第6回は子爵家のパーティーに招かれた折だが、第12回,第22回によると、これはこの娘のいつもの外出の装いらしい。菜の花が咲いている早春なので綿入の二枚襲だろう。この時代はこれまでの三枚襲が特別の場合以外廃れはじめていた。とりわけ年若の娘は、重くて窮屈な襲衣裳を嫌ったが、襟元や袂、裾の広がりに覗く何枚かの色調の重なり具合は、見馴れた人にはいかにも華やか見えたものだろう。第6回の絵では、裾廻しの濃い色合いの効果がよく見てとれる。この娘の束髪は、すでに廂髪(庇髪)(ヒサシガミ)といってよい形をとっている。何々巻といった呼び名は新聞や雑誌にはよく見かけるが、後頭部だけのことでもあり、見る人にはほとんど区別されなかったにちがいない。むしろ髷の根に挿す造花やリボンの華やかさが目立つ。この頃は女学校でも、造花コースの人気は刺繍や編物以上だった。(大丸 弘)
ID No. A05-028
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1905(明治38)年3月18日号 7面
画家・撮影者 右田年英(梧斎年英)(1863-1925)
小説のタイトル 間一髪(12)
作者 須藤南翠(南翠外史)(坎坷山人)(彩幻道人)(1858-1920)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード H310:[応接間;客間;居間;小集会室;サロン;食事以外の家族的情景]
D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D2hi:[束髪(庇髪など、後期平型の)]
D1ka:[髪飾り(櫛,簪,リボン)]
Qwa:[綿入れ;キルティング]
D3ob:[帯の締め方;帯の位置]
時代区分・年代 20世紀初め;1905(明治38)年
国名 日本
キーワード 庇髪;造花;リボン;綿入れの二枚襲;お太鼓結び
男女別 女性
体の部分 上半身
関連情報 A05-025, A05-028, A05-030