近代日本の身装文化(身装画像)
説明 一,二年前の話。洲崎遊廓は1888(明治21)年に根津から移転して開業した。場所が下町でもあり吉原ほど格式ばらなかったから半纏着の階層には喜ばれて、第二次世界大戦後の洲崎パラダイスまで続いた。とはいえ、あくまでも廓(クルワ)であって、岡場所とはちがうというという構えは崩さず、商売の仕方の基本はこの日の記事を見ても、そう大きくは吉原と変わらないようだ。朝帰りの客を送り出したあと、窓の手すりに凭(モタ)れて新聞を読んでいる花魁(オイラン)の姿は吉原と同じ。いちばん外に着ているのは廓では「しかけ」(=裲襠(ウチカケ))と呼ぶ褂。ふつうの掛け襟の倍ほどの幅の派手な色の掛け襟がついている。この花魁はそのしかけを二枚重ねている。しかけの下は長襦袢。髪ははっきりしないがたぶん兵庫だろう。(大丸 弘)
ID No. A04-135
出典資料 都新聞
発行年月日 1904(明治37)年9月30日号 1面
画家・撮影者 富岡永洗(藻斎永洗)(1864-1905)
小説のタイトル 探偵実話 雷巳代治(いかづちみよじ)(37)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D2ni:[日本髪一般]
Vuc:[打掛]
Vka:[掛襟]
時代区分・年代 20世紀初め;1904(明治37)年
国名 日本
特定地域 東京;洲崎
キーワード 遊郭;花魁(おいらん);娼妓;遊女;女郎;兵庫髷;仕掛け;新聞;手すり;廊下
男女別 女性
体の部分 全身;坐臥