近代日本の身装文化(身装画像)
説明 二人の篤志看護婦。夫を戦地に送った妻や、戦死者の未亡人などが看護婦を志願する例が多かった。最低限の訓練を施したうえで、補助的な任務に就かせたのだろう。わが国では、本格的には1890年頃から、赤十字社が万国赤十字社にも加盟して、看護婦の養成をはじめている。それまでの看護婦には和服にエプロン掛けや、丸髷や銀杏返しの人などもいたが、日清戦争(1894年,1895年)のころより服装も国際的標準に従うようになった。その後、長く遺存した看護服は、1890年代のGibson(ギブソン)ガール風スタイルで、肩のエポーレットと、コック帽に似た帽子が特色。(大丸 弘)
ID No. A04-095
出典資料 読売新聞
発行年月日 1904(明治37)年6月21日号 1面
小説のタイトル 勝軍(かちいくさ)(101)
作者 渡辺霞亭(黒法師)(緑園)(朝霞隠士)(無名氏)(匿名氏)(1864-1926)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D4is:[医師;看護婦;病人の世話をする人]
D5se:[制服(職場);仕事着(軽作業);事務服]
Wbo:[かぶり物一般;帽子]
時代区分・年代 20世紀初め;1904(明治37)年
国名 日本
キーワード 篤志看護婦;制服;ギブソンガール・スタイル;エポーレット
男女別 女性
体の部分 全身;上半身