近代日本の身装文化(身装画像)
説明 東京・赤坂の芸者屋の朝、といってももう十時を過ぎている。この家は主人の年増芸者のほかにまだ十四,五の雛妓(オシャク)がひとりいる。その雛妓が年に一,二回の踊りの大さらい――温習会に着てゆく衣裳のことで泣いている。その衣裳が、前にも使ったものだと言われたというのだ。この世界では衣裳のことについてはいさかいや苦労が多い。袖を眼に当てて泣いている雛妓の髪は唐人髷。唐人髷は1910年代までは十代の女性によく結われていたが、1920年代に入る少し前くらいからはほとんど結う者がいなくなってしまった。主人でもある姉芸者は、襟付きの縞のきものの前を緩く合わせて細帯を巻き、大きな市松格子の丹前をだらしなく引っかけて歯を磨いている。歯磨粉はもう房州砂の時代ではなく香りのよい新製品がいろいろ発売されていたが、歯ブラシの方はむかしからの房楊枝がいつまでも残っていたのは、この方が歯垢がよくとれる、ともいわれていたためらしい。年増芸者といわれるのは大体二十代後半から三十代初め。髪は根下がりの芸者島田。(大丸 弘)
ID No. A02-029
出典資料 東京朝日新聞
発行年月日 1902(明治35)年3月8日号 4面
小説のタイトル 大喝采(8)
作者 武田仰天子(1854-1926)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D7ge:[芸者;半玉;舞妓]
D005:[20~30歳代の女性;年増]
D2sim:[島田;高島田]
Vka:[掛襟]
D3ut:[打合せ;襟あき;ぬき襟]
D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D2ni:[日本髪一般]
D801:[強い悩み・悲しみ・口惜しさ・羞恥の表現]
時代区分・年代 20世紀初め;1902(明治35)年
国名 日本
特定地域 東京;赤坂
キーワード 年増芸者;芸者島田;黒襟;丹前;伊達巻;房楊枝;雛妓(すうぎ);半玉(はんぎょく);おしゃく;唐人髷;袖口で涙をぬぐう
男女別 女性
体の部分 全身;上半身