近代日本の身装文化(身装画像)
説明 下町育ちの娘が女学校に入り、山の手の裕福な家庭の人々と交渉を持つ。同じ東京とは言っても下町と山の手では、ときとしては違う人種のようだった。ちょっとした習慣や気風の相違は昭和になっても続いたという。娘に小学校以上の教育をつけるということに関しては、下町の商家や職人気質の人はもうひとつ積極的でなかった。震災前でも、袴姿の若い女が神田や日本橋あたりを通ると、うさんげに見る人があったそうだ。ここに描かれている女学生は、登校ではいうまでもなく、友人の家を訪問するときなど、多少改まったときはすべて胸高に袴を穿く。17(6)ではもてなしを受けている娘は袴、その横のこの家の娘はもちろん着流し。画家は人による髪型の違いを忠実に描き分けている。この時代の束髪は、まだ少女といってよい女学生でもずいぶん大きくなっていて、人によってはとくに前髪が、つぎの時代を暗示するように盛り上がっている。(大丸 弘)
ID No. A01-102
出典資料 読売新聞
発行年月日 1901(明治34)年9月4日号 1面
小説のタイトル 紺暖簾(17)(6)
作者 山岸荷葉(1876-1945)
資料タイプ 挿絵
身装画像コード D003:[少女(ほぼ女学生の年頃(12~15,16歳))]
D7jog:[女学生]
D2so:[束髪(前期縦型の)]
Vhaf:[袴(女性)]
Vhao:[羽織]
D6ti:[地域的特色;民族服;東京と関西;山の手と下町]
時代区分・年代 20世紀初め;1901(明治34)年
国名 日本
キーワード 黒紋付き羽織;箱膳;座布団
男女別 男性;女性
体の部分 全身;坐臥
関連情報 A01-096, A01-101, A01-102