該当件数: 7件 (1件-7件表示中)
テーマ
タイトル
解説
9. 総括
901 年齢観
第二次大戦にいたる近代80年のあいだに、日本人の平均寿命はそれほど大きく変わっていない。明治時代の数字は不確かだが、1890年代(ほぼ明治20年代)で男性42.80歳、女性44.30歳と概算されている。敗戦後の1947(昭和22)年の国勢調査では男性が50歳強、女性が52歳弱。その間、1920年代前半には、明治期の数値をわずかだが下まわっていた。日本人の平均寿命が伸びたのは戦後1950年代(ほぼ昭和20年代)の高度成長期以後のこと。年齢観はその時代の、およその寿命が背景にあるだろう。織田信長が言ったとい…
9. 総括
902 身だしなみの周辺
嗜(たしな)む、ということばはやや死語になりかかっている。仲人さんに、お嬢様なにかお稽古事は、と尋ねられた母親が、お茶とお琴を少々嗜んでおります、と答えると今日ではいくぶん仰々しい。お茶とお琴をやっております、とでもいうのが普通の答え方だろう。この場合の嗜むは、身につけるというほどの意味になる。八代目桂文楽の出しものに、「夢の酒」というのがあった。噺の冒頭、日本橋辺りの商家の奥の間で、若夫婦が痴話喧嘩をしている。店にいてそれを聞きつけた父親がふたりに小言をいう。「夜でもあろうか昼日中、伜も伜だがお花もそ…
9. 総括
903 高尚な世界
人の好みやふるまいの評価基準として、高尚という言い方がよく使われたのは明治時代だった。御婦人方の高尚なご趣味に――、といった化粧品の宣伝は毎日の新聞でもごく当たり前に見ることができた。高尚は上品とほぼおなじ意味に使われて、実際、高尚の文字に「じょうひん」、とルビを振っている例もある。高等ということばを同じ意味に使うこともあったが、これは例の、「粋でこうと(高等)で人柄で――」以外にはそれほどお目にかからないようだ。1910(明治43)年を過ぎるころから、新聞広告のコピーでも、高尚の文字はだんだんと少なく…
9. 総括
904 美人/アイドル
美しい顔とはどんな条件が必要か、美しい人体とはどんな数字的バランスを持っていなければならないか、といった意見、研究が、古代ギリシャの時代から現代まで数多く存在していることはよく知られているし、この時代の新聞からも関連記事はいくつか拾うことができる(→年表〈現況〉1913年4月 「美人くらべ」読売新聞 1913/4/24: 5;→年表〈現況〉1922年1月「世界的女性美の標準」【婦女界】1922/1月;→年表〈現況〉1934年7月 「理想の美女」読売新聞 1934/7/25: 9;→年表〈現況〉1934年…
9. 総括
905 好色/猥褻
日本人は性については寛容な文化をもってきた。アナーキーとさえいえるかもしれない。古事記、源氏物語、井原西鶴――日本文学のめぼしいものに、男と女の色情の哀れさと、笑い以外になにがあるだろうか。近代に隣りあった江戸時代後期の文学も、坪内逍遙によれば、「ポルノグラフィに傾くか、バッフンネリー(道化)に流れるか、少なくともこのふたつのものに幾分かずつ感染しないわけにはいかない宿命を持っていた」という(「新旧過渡期の回想」【早稲田文学】1925/3月)。逍遙もいうように、とりわけ下町で人気の音曲類――長唄、清元、…
9. 総括
906 エロ取締の時代
大正の初め、警視庁保安課長の、美術展覧会出品物取締に関する見解のなかに、つぎのようなことばがある。「芸術家やその道の専門家の意見などは参考にする必要はない。要するに立場のちがった我々が、純粋に我々の立場で取締規則を作ってゆくのであるから……」(→年表〈現況〉1917年6月 「裸体画に対する警視庁の見解」読売新聞 1917/6/6: 5)。保安課長のことばのなかには「国体」という表現もあるが、要するに日本の現状では、民衆が裸体美術に古くから接している欧州諸国と同列に考えるべきではない、というのだ。たしかに…
9. 総括
907 流行とファッション
第二次大戦以前はまだ、「ファッション」は多くの日本人にはそれほど耳慣れたことばではなかったようだ。1920年代、30年代(ほぼ昭和戦前期)の現代語辞典、新語、新聞語辞典のたぐいにも、見出しにファッションの項のあるものは半分にもならない。ましてモードという見出しを持つものはごくわずかで、ア・ラ・モードという言い方で紹介しているものが2、3あるだけだ。それはこんな奇妙な説明をしている本があることでもわかるだろう。ア・ラ・モード 英語のmode(流行)と、フランス語のa la(に於ける)とを組み合わせた日本製…