テーマ | 産業と流通 |
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No. | 607 |
タイトル | 小間物屋 |
解説 | 小間物とは唐物に対して高麗物である、とむずかしいことを言っている本もあるが、庶民のことばの感覚からいえば、こまごましている物を売っているのが小間物屋さん、という方が実感がある。荒物屋という商売もあり、これは笊やまな板、たわしやしゃもじ、箒といった、勝手道具や生活実用品を扱っている。小間物屋はそれとくらべると、身の飾りを主にした小物をそろえていて、客のほとんどは女だった。商品が細々したものなので江戸時代には背負い小間物屋が繁盛した。小間物屋の若い衆といえばかならず小粋な男にきまっていたものだ。 小間物はとりわけ日本髪と密接な関係をもっていた。日本髪が洋髪にとって代わられる前夜の時代、1913(大正2)年刊行の、『東京小間物化粧品名鑑』には、小間物の部としてつぎのような項目があげられている。 櫛、笄、元結止、束髪ピン、各種髪止め、毛筋立て、髪掛(手柄、根掛、丈長など)、リボン、髷形、附髷、かもじ、入れ毛類、ブローチ、指環、玉類、楊枝(歯ブラシ)、房楊枝、元結、化粧具(白粉(おしろい)刷毛、紅筆、鏡、元結通しなど)。 小間物屋は化粧品も扱うのがふつうなので、化粧品の部として以下の品目が加わる。 石鹸、歯磨、紅、白粉(煉、水、粉、打白粉、打粉)、洗粉(化粧洗粉、髪洗粉、シャンプー、洗料)、化粧水、化粧下、クリーム(美顔用、毛髪用)、香水、香油、煉香油(梳油、鬢付、コスメティック、ポマード、ブリアンチン、パンドリン等)、涅歯(でっし)料、白髪染、香料。 さらに雑の部として、多くの小間物屋がとりあつかっていた商品に、つぎのようなものがあった。 装身具、匂袋、各種容器、掛針、レース毛糸針、造花および造花材料、染料、癖毛縮れ毛直し、口中香錠、うがい水、香気紙、脂取紙、衣紋掛、エプロン、三味線付属品など。 雑の項目に三味線付属品が入っているのは、小間物屋の上得意が花柳界だったことを示している。事実、京橋の大西白牡丹のような名題の店ばかりでなく、花街の近くにはコンビニエンスストアのような小さな小間物屋があって、芸者さんたちにとっては遠出しないでもたいていの用が足りる、ワンストップショッピングの店にもなり、姐さんの耳打ちひとつで小女が走っていって、不意の旦那の訪問に間に合わせるような役目もしていたようだ。 ただし、1890(明治23)年の文部省小学読本では「第十課 小間物屋」として、 小間物屋は、専ら人の手道具類を商うものにて、其品々の大略をいわば、紙入、煙草入、巾着、煙管、煙管差、打紐、ぼたん、櫛、簪、笄、玉類、小金物類、根付、楊枝、歯磨、紅、白粉、筆、墨、針、鋏、小刀、尺(物差)、扇、団扇、帽子、靴下、手袋等なり。其中、舶来の物品のみを商う店を、西洋小間物店、又は舶来小間物店といえり。 とあって、大正期の小間物屋に比べると、むしろ雑貨店といった方がよさそうな手広い品ぞろえをしていたらしい。この教科書ではつぎの課が荒物屋になっていて、荒物屋は家財の中、多くは勝手道具につくべき品を売るものなり、としている。 要するに立地条件や店の広さ次第で、販売品目はきまりきったものではなかったろう。1892(明治25)年の『大阪商工亀鑑』には小間物商、小間物卸商、小間物翫物商として、市内有名店舗30店ほどの広告が掲載されている。それを見ると、店によってその宣伝する品目もさまざまであり、いわゆる小間物類のほか、衛生用品、事務用品、モスリン鹿の子、点灯具、時計、三府錦絵、各国カルタ、猫洗い粉、簿記用コンニャク版用インキと、まことに多彩だ。 江戸ファンの人なら小間物屋というと、両国米沢町の四つ目屋を思いうかべるかもしれない。四つ目屋を薬屋のように説明する人もあるが、もっぱらコンドームのたぐいを扱っていたこの店もまた、小間物屋の仲間とみるべきだろう。 『小学読本』では西洋小間物屋を区別している。西洋小間物店というのは、輸入品の各種毛織物、帽子、靴、手袋、シャツ、靴下などの服飾品をあつかう店で、最初は唐物屋と呼んだ。従来の小間物商もそのなかのいくつかは店に置いたから、明治時代には和洋小間物商という看板もかなりあったようだ。しかし1910年代(明治末~大正初め)以後、洋装関係の需要が多くなってくると、小間物商は扱う品目を日本髪関係に、客筋を花柳界にと特化していった。小間物商いを守り続けている人のなかには、次第に数少なくなっている鼈甲職人などもいた。 日本髪や束髪の時代の結髪業者は、商売用の櫛道具も油も、なじみの小間物屋から手に入れていた。しかし1920年代以後(大正末~昭和にかけて)、世の中が洋髪へと移り変わり、髪結さんが熱アイロンを使い出すころから、小間物屋との親しい関係がうすれだし、1930年代(昭和戦前期)、パーマネントの時代になると、美容師たちはもう小間物屋の敷居をめったにまたがなくなる。新しい器具も薬品も、材料屋とよぶ外交員が出入りして供給した。若い元気な外交員は、新しいヘアスタイルの噂も、外国の技術の情報ももっていた。 小間物屋のなかには、粋で古風な店構えをそのままに、時代から置き忘れられたような存在になっている店もあったが、多くは化粧品店、あるいは化粧品主体の兼業への転身を図ったようだ。もっとも1927(昭和2)年に「小資本で出来る女の商売十種」という特集雑誌記事のなかの小間物化粧品店の項を見ると、小間物の方はまだいいとして、化粧品の販売は容易ではないという(【主婦之友】1927/10月)。その大きな理由はおそらく、化粧品を買おうとする女性は、小さな店で乏しい商品のなかから買うよりも、華やかなデパート売場の、目移りするような豊富な品揃えと、雑誌から抜けだしたような販売員のいならぶ店の方を選ぶためだろう。 (大丸 弘) |