| テーマ | アクセサリー |
|---|---|
| No. | 303 |
| タイトル | 日本髪の髪飾り |
| 解説 | 1880年代(明治10年代末)の束髪ブームでは、櫛笄(くしこうがい)や髪飾りを扱う小間物業者のなかには、転業まで考えた店があったらしい。しかしもちろん束髪には束髪のための髪飾りがあるし、流行が洋髪に代わってもソバージュの時代になっても、扱う品種が代わるだけで、整髪や化粧のための商品がまったく要らなくなってしまうわけではない。 とはいえ、日本髪と、1930年代以後の洋髪、パーマネントウエーブの時代とでは、女性が髪のケアのために必要とするアイテムは、まったく変わってしまった。髪飾り類についても、束髪はその中間段階だった。 日本髪は前髪、鬢(びん)、髱(たぼ)、そして大きな髷(まげ)、という4つの部分をもつのが標準だ。そのなかでも髷は複雑な構造をもっていて、こういった構造物を固定するためにたくさんの元結や補助的な小物を必要とする。その小物類は同時に、飾りの役割ももっている。櫛、笄(こうがい)、簪(かんざし)、根掛け、手柄、丈長、そして結束用の紐にすぎない元結さえ、装飾的に扱われる場所がある。 ただし髪飾り類はもの自体が小さいこともあって、とくにそれを目的としたものでないと、写真等の画像ではその有無さえはっきりしないのがふつうだ。ここでは比較的めだちやすいアイテムについてのみとりあげる。 日本髪の代表的な髪飾具は櫛と簪。櫛はほんらい髪の毛を梳(す)いて整える実用目的のもの。前髪の根などに挿す飾櫛と髪を結いあげ、整えるのにつかう櫛とはべつのもの。飾櫛はふつう左右対称の半月形で、流行によって多少かたちにちがいはある。素材や装飾は値段と流行次第。明治期は婚礼用などには無地鼈甲(べっこう)ときまっていて、かたちは1890年代(ほぼ明治20年代)はお初形、政子形、1900年以後(ほぼ30年代以後)は半京型の流行、ということになっているが、髪に挿したらほとんど区別はつかないだろう。 鼈甲はスッポンに似た玳瑁(たいまい)という大型の海亀の甲羅で、黄色っぽい半透明に黒い斑(ふ)がある。無地というのは斑のないもの。江戸時代以来、日本人に非常に好まれて、櫛以外にもさまざまの工芸品に使われている。 実用の櫛は種類が多いが、かたちの変わっているものは大体髪結の商売用の櫛。そのなかで素人も使う鬢櫛(びんぐし)は、かたちが飾り櫛より持ちやすくなっていて、とかし櫛としてもっとも普通で、女性ならたいていは持っていただろう。飾り櫛とおなじに前髪の根か、ちょっと鬢にさす。これを洗い髪にさしたりするとガラが悪くなって、横櫛なんとかという姐御じみる。 簪は前髪の横にさす前挿(まえざし 向挿しともいう)がいちばん目立つ。これは若い女性、というより女の子風だ。花簪が多いが、房のように薄い金属片や小さな鎖のさがっているビラビラの簪もおなじみだ。いまでは祇園の舞妓がよくしている。 お煙草盆から、はじめて蝶々や付け髷の唐人髷に結えたくらいの女の子は、とりわけ目の前にひらひらする花簪をよろこぶ。あり合わせの材料――ときには鉋屑(かんなくず)のようなものまで――をちょっと工夫して髪にあしらう摘まみ細工の髪飾りが、小さな流行りの波を繰り返している。 羽根をついて遊ぶ少女たちの髪に、摘まみ細工の花かんざしを多く見かけます。これは一昨年あたりからぼつぼつ見かけ始めましたが、今から廿年前に大流行だったものです。ずっと遡って記憶を辿りますと、江戸の面影がまだ残る明治の初年あたりは、銀のススキの簪をよく挿しましたが、そのほかは大方粗い摘まみ細工でした。明治廿三四年頃にとりわけ多かったのは、鯨髭を薄く削って、牡丹や菊やいろいろに拵(こしら)えて、銀色の細かい短冊形のひらひらを簾(すだれ)のように飾ったものでした。それ以後二三年ごとに変遷しました(……)。 女房が髷の根などによくさしている玉簪は、先が耳掻きになっていて、耳の穴より、めったに洗わない頭のかゆいのをこれで掻く。玉は珊瑚がこの時代まで好まれ、玉簪といえばピンク色、というのが定番だった。しかし1890年代(ほぼ明治20年代)に入ると瑪瑙(めのう)の流行した時期もあった。 日本髪の女性は後すがたのよさを賞美された。とりわけ人妻の結う丸髷は、前から見るとあまり見栄えのしないものだったが、側面から背面にかけては、赤い手柄と、そしてうしろ鬢にさした後挿の簪があでやかなものだったらしい。後挿の簪はだいたい銀の平打ちがふつうだった。平打の簪は平らな金属面に模様を刻むが、もともとは武家の女性が家紋を刻んで用いたもののようで、武家の女性にとっては、後挿の平打の簪は身を護るための武器でもある、ということになっていた。玉簪も平打も先が1本のものと、2本に分かれたものとがある。簪は、道を歩いていてすれちがいざまに抜きとられる、という被害に遭いやすかった。人情話の「双蝶々」では、悪党の長吉が表向き米屋に勤めながら、そんな内職で稼いでいる。 簪はもともと髪を束ねるための補助具でもあった。これも落語の世界で、貧乏人の女房は簪の代わりに、割箸を折っペしょってさしている、といっている。達磨返しのたぐいの髪でも、髪を巻きつけるなにかの棒は必要だから、そんなこともしたかもしれない。 一口に櫛笄というが、もともとは毛を巻きつける役割をもっていた笄は、言ってみれば1本の棒にすぎない。明治時代になると純粋の飾りとなり、よほど古風な好みの人か、花魁ででもなければつかわれなくなっている。花魁道中では、大きな兵庫髷にまるで後光か水雷のように、10本以上の笄をさしている。 なお、1920年代から30年代にかけて版を重ねた、ある結髪・美容学校のテキストには、「髪飾櫛笄簪懸物類」として49種類のものをあげている。その多くは、お祭りや舞台のため、あるいは縁起ものや特殊な髪のためで、一般的とはいえないが、ともあれ日本髪が生きていた時代、女たち、とりわけ娘たちは、自分の髪の飾りにいろいろな工夫や思いつきを試みて楽しんだようだ。 (大丸 弘) |