近代日本の身装文化(参考ノート)
テーマ 美容
No. 227
タイトル 内巻/アップ
解説

1940(昭和15)年以後になると、男性たちの多くが戦場にとられたあとを埋めるため、これまでは買い物以外、家庭の外の社会になんの関心も持たなかった主婦や娘さんも、毎日職場に通う生活に入った人が多い。

職業婦人になった女性たちの多くは、オールバックにした髪を後頭部でお団子に丸めて、ネットとピンで留めていた。美容院に行く人は半分もいなかったが、カットにだけ美容院を利用する人はずいぶんあった。すでに断髪やパーマネントの時代を経験しているこのころの女性は、みじかい髪の毛には慣れていた。半世紀前であると馬の尾とか、櫛巻にでもしたところを、この時代のかまわない女性はピンとネットで簡単に処理していた。ネットは縦型束髪の時代からあったし、フィンガーウエーブの洋髪や小さな髷には、スズラン留め(ピン)が大量に使われた。

美容院を利用する人は、たいていはパーマネントをかけ、そのあと月に2、3回、セットに行く。パーマをかけないのは中年かそれ以上の人で、あんこ(梳き毛)のたくさん入ったハイカラ(束髪)を、十年一日のように結った。こういうお客のなかには、まだ自分の家に髪結いを呼んで、結わせたがる人が残っていた。

パーマは毛を傷めるからといってまだかけない奥さんも少なくなかった。美容師はそんなことは信じていなかったが、お客さんと争うことはせず、そういう人には今までどおりのアイロンウエーブをして、お客の帰ったあとで、アイロンのほうがよっぽど毛を傷めるのにね、と笑っていた。

洋髪の時代になって、あたまに髷をつけるということがほとんどなくなった。せいぜい肩の辺りまでの毛に、どういう風にウエーブをつけるか、カールやロール(「ロール巻」などといった)をするか、お客一人一人と相談しながら、美容師はアイロンと櫛、ブラシを動かした。

1930年代の後半(昭和10年代)になると、洋服の流行がそれまでのほっそりした三角錘シルエットから、肩の張ったミリタリー・ルックの方向にむかった。それとタイアップしたのか、後ろから見て台形になるような髪型が多くなる。下げた髪の首筋の辺りにロール巻をつけるなど、下のほうにアクセントをつけるスタイルが好まれた。首筋を半分めぐってぐるりとロール巻をゆらしているスタイルも、若い人にはよくみかけた。

1930年代の終わり頃(昭和13、14年)から、このロール巻を内側に巻くスタイルが流行しはじめた。女学校を出たてのお嬢さんのなかには、首筋の辺りで切りそろえていた髪を、そのまま肩の辺りまで優雅にのばしているひともいたし、先っぽだけにちょっと、軽くパーマをかける人もいた。切ったままにしておくよりもちろんおしゃれでもあったが、切りっぱなしは案外手のかかるものだ。内巻、つまり内ロールは、この毛先パーマからほんのすこしの発展だ。

この時代、東京とその周辺で営業していた美容院経営者は、口をそろえて、昭和14、15年あたりから終戦後にかけての、内巻の大流行を回顧している。

秋頃からこのロールを逆に内側に巻くリバースロール(ページ型)がかなり多く出てきた。この髪は上品で落ち着きがあり、洋髪の中で中年婦人によく似合う髪として歓迎された。内巻とかソーセージ巻とかお小姓型とかいわれるのは、すべてこのリバースロールのことである(→年表〈現況〉1938年12月 「慌ただし洋髪の移り変わり」報知新聞 1938/12/29: 4)。

最近の髪型モードには、上へ上へとつみ上げられたいかにもシークなアップ・スタイルと、肩までものびた長めな髪をやわらかくロールして垂らしたダウン・スタイルとの両極端な二つの種類があります。
(山本鈴子「こんな髪にはこんな帽子を」【婦人画報】1938/12月)
いま一番人気のある髪形「内巻」
(読売新聞 1941/5/26: 4)
洋装にも和装にも合う三つのヘアスタイル(……)B型が内巻(リバースロール)
(近藤みや子(パピリオ美容院)「新春の髪形ABC」【婦人の国】1947/1月)

内巻は、最初のうちはお嬢さん向きのスタイルとうけとられていた。

吃驚させられる中年婦人の内巻――近頃中年婦人に内巻の髪型をよく見かけます。若い人でも和服の時、あまりゆらゆらした内巻はどうかと思いますのに、中年の婦人がこれを真似るというのは如何でしょうか。(……)落着のあるきものと調和しないこと甚だしいのです。
(→年表〈現況〉1940年12月 読売新聞 1940/12/4: 4)

しかし3、4年も経たないうちに、内巻はその、おそらくは単純さが、中年女性にふさわしい落ち着き、と感じられるようになったらしい。パーマネントといえば雀の巣、というふうな固定観念で考える男性や老人がいて、それもパーマ嫌いの火元のひとつになっていた。内巻もパーマネントはかけているのだが、見た目がおとなしやかであることから、いわゆる自粛髪に向いていた。

かけっぱなしや、ぜんたいにもっとつよいカールやロールのほしいひとは、髪を上げてしまい、スカーフやパンダナを頬被りのようにかぶったりした。髪をアップにした、男顔負けの働き手、というのもこの時代の女性のひとつのイメージだ。下げた髪は襟にうるさいから、と言っている人もいた。

横文字嫌いのために電髪(でんぱつ)という言い方に代えたり、パーマのお客でいつも混んでいる店では、美容師たちがお客といっしょに笑いながら、生活の現実を知らないパーマネント批判の矛先をかわす、いろいろな工夫をしていた。

1940(昭和15)年前後の東京都心のペーブには、輸入ものらしい帽子を小粋にかぶる女性たちのすがたがまだ見られた。スクエアショルダーの時代にふさわしく、帽子もブリムの思いきって幅広いメリー・ウィドウ・ハット(Merry Widow hat)風のデザインが多い。しかしおなじペーブを、おなじ時代に、ひっつめ髪に割烹着姿の大日本婦人会員たちが、日の丸の小旗を振って行進していたと思うと、風俗の許容度の広さを感ぜずにはいられない。

(大丸 弘)