| テーマ | 身体 |
|---|---|
| No. | 110 |
| タイトル | 病人と薬 |
| 解説 | 明治と世の中が変わって、東京には銀行や裁判所とおなじような煉瓦造りの病院が建てられた。しかし庶民の多くはそういった威圧的な外観の病院はおろか、町の開業医の門を叩くことも稀だったろう。以前とおなじように、たいていの体調の悪さは、“我慢”でやりすごした。俺は医者にかかったことなど一度もねえ、と自慢する年寄りもけっこういたらしい。そういう老人には疝気(せんき)もちがよくいた。疝気というのがどんな疾患であるのかはっきりしないが、下腹部から睾丸にかけて痺れるような痛みのあるものらしい。『半七捕物帳』の「半鐘の怪」のなかにも、この病をもつ年老いた番太郎が出てくる。この老人もまた、ただ温石で腹を温めるだけでなんとかしのごうとしていた。とうとう我慢ができなくなっても、医者への薬礼を惜しんで、まずは買い薬で間に合わせようとする。子どもが熱をだしたり腹くだしをしたりすれば、買い置きの薬が役にたった。 置き薬としては富山の薬がよく知られている。越中富山の反魂香(はんごんこう)ほど有名でない、また価格も安い売薬商人はほかにもたくさんいる。大きな箪笥のようなものをになってくる定斎屋(じょうさいや)も、日清戦争後のお一二(おいちに)の薬売りもそうだった。また越後の毒消し売りもそのひとつ。いずれも特色のある恰好をし、お一二の薬売りのように軍服めいたものを着て、まだめずらしかった手風琴をならして、すぐおぼえてしまえるような歌をうたって、子どもたちにつきまとわれるような行商もあった。縁日や盛り場の香具師(やし)のなかにも、結局はなにかの薬を売りつけるものが多い。 この種の置き薬は、医師の診断にもとづいて処方されるものではないから、たいていはその効用が、よくいえば幅広い。なかには有名な六神丸や朝鮮人参のように、なんの病気にもよく効く、というものがあるかと思えば、落語の「野晒し」に出てくる反魂香のように、死んだ人間を呼び戻す、というものまである。 いわゆる民間薬としては、明治時代生まれのひとならたいていは知っている薬効植物も多い。下痢腹にゲンノショウコとか、毒下しにドクダミ、おできに弁慶草、のたぐいだ。江戸時代以来、相変わらず刊行されつづけている、民間百科全書である大雑書類には、この種の生活の知恵がつまっている。しかしもちろん、そんな書物をもっているひとばかりではないから、そういうとき役にたつのは経験豊富な年寄りの記憶、ということになる。 政府は漢方医をしりぞけ、積極的に西洋医学を受けいれようという努力のなかで、民間薬に対しては早くからきびしい姿勢をとっていた。すでに1870(明治3)年に〈売薬取締規則〉が公布され、その後も医薬品に対する各種の規制が重ねられてゆく。ただ、行商に頼っている民間薬の多くは、薬効もないが害もない、といういわゆる“無効無害主義”の点から、明治時代は放置されていた。規制が強まったのは1914(大正3)年の売薬法施行以後になる(→年表〈事件〉1914年3月 「売薬法公布」【法律】第14号 1914/3/31)。 いろいろな記録やまた小説類を読んでも、明治・大正期の病人は、床についてからいけなくなってしまうまでの日時が短いように感じられる。医者にも診せず、とくに女性の場合などは、病気を隠している時間が長かったのではないだろうか。 明治初め頃の病人がどんな風だったかを想像させる、三遊亭圓朝のつぎのような描写がある。 (……)病間へ通って見ると、木綿の薄っぺらな五布(いつの)布団が二つに折って敷いて有ります上に、勘蔵は横になり、枕に坐布団をぐるぐる巻いて、胴中から独楽の紐で縛って、括り枕の代わりにして、寝衣(ねまき)の単物にぼろ袷を重ね、三尺帯を締めまして、すこし頭痛がすることもあると見えて鉢巻もしては居るが、禿頭で時々辷(すべ)っては輪の形で抜けますから手で嵌めて置きます(……)。 累(かさね)の怪談の世界は幕末だが、新聞挿絵では明治末まで、貧乏人の病の情景はここにのべられているのとすこしの変わりもない。 幅の広い五布布団はふつうは同衾用だ。西洋では夫婦がダブルベッドを利用する習慣がめだつが、日本では兄弟同士が一つ布団に寝かされたり、年寄りと子どもがいっしょの布団に寝ることが多かった。明治期の家訓書には、老人と幼い子を同衾させるのはよくない、という注意がみえる。老人の呼吸器系の病気の感染を警戒してのことだ。しかし病人がでれば、余分な布団がない場合、五布布団を二つ折りにして厚めにするのだろう。敷布が一般化するのは1900(明治33)年以後のことで、地方や貧乏所帯ではさらに遅れただろうから、明治時代は病人であってもなくても、布団皮に直接からだをすりつけて寝たのだ。 枕の代わりに座布団を丸めているのは、病人にふつうの小さな括り枕では、頭の当たりが硬すぎるためだろうか。新聞小説にはよく病人がでてきて、挿絵に描かれている病人には、いくつかの常套的表現がある。そのひとつが、直径で30センチぐらいはありそうな大きな枕を抱えて、腹ばいになっていることだ。ほとんどすべての病人が、腹ばいのすがたで描かれている理由はわからない。腹ばいであると、手をかけ、あごをのせてもたれるのに、枕が大きいことは都合がいいのかもしれないが――。家庭にあんな、小さな米俵のような枕のあるわけがないので、座布団を丸めて役立てているなら納得がゆく。鉢巻は頭痛を抑えるために江戸時代からおこなわれ、歌舞伎の舞台では病人を示すために記号化している。結び目は耳の前辺りがふつう。お殿様などのする紫の病鉢巻は、一種の優雅さのあるものだ。 (大丸 弘) |