| テーマ | 身体 |
|---|---|
| No. | 107 |
| タイトル | 姿勢/動作 |
| 解説 | 開国後まだいくらも経っていない1872(明治5)年、日本人の腰の屈まった姿勢の悪さの原因として、下駄、畳の生活、帯、の三つを指摘した外国人があるという(→年表〈現況〉1872年9月 「日本人の姿勢」新聞雑誌 54号 1872/9月)。 しかし武士たちは概してよい姿勢だった。刀をさして道を歩く侍が、背中を丸くしているのはちょっと考えにくい。撃剣の稽古では、背筋を伸ばすことをきびしく注意される。そういう訓練をうけている武士は、日常どんなときでも、身体をまっすぐ伸ばしている構えが身についていた。 それに対して、商人や職人、また農民たちは、背中をまっすぐ伸ばすことを必要としなかった。[新聞雑誌]は衣服や住居を原因としてあげているが、それとあわせて、商人という生業、職人という生業、また農業労働のすがたも考えておく必要がありそうだ。江戸時代の民衆の姿勢には、彼らの生業と己れの身分の自覚、その自覚が、日常的に彼らの身に染みていたのだと。 また、鳩山春子は、日本女性の前屈みの習慣は、ひとつには恐怖心からくるもの、と指摘した。人前に出ると身体をすくませて逡巡する、これはかつて、父母や夫に対して敬うということのみを教えて、愛というものが欠落していたことの結果だ、女性はしおしおとしていなければいけない、物腰を低くしていなければいけない、という想いが、前屈みの姿勢を生んだ、と(→年表〈現況〉1910年3月 「日本婦人の前屈みの習慣」時事新報 1910/3/11: 7)。屈み女に反り男、ということわざもあった。猫背、海老腰、といわれる日本人の姿勢の悪さと、おどおどした態度は、なにかにつけて自信をもてない立場にあった女性のほうに、より顕著だったようだ。 とはいえ、日本人の前屈み癖のいちばん大きな原因が、長時間畳に座る習慣という、物理的条件であったのは確かだろう。注意しておく必要のあるのは、床にお尻や腿をつけて座る座式生活の場合、庶民の多くは作業にも飲食にも、机のような台を前に置くことは、案外少なかったという事実だ。近代がはじまったころの日本人の感覚では、畳はフロアというより、もしくはフロアであると同時に、それ自体がものを置く場所でもあった。百人一首の取り札も双六も、畳の上にひろげて華やいだ。 女性は針仕事に長い時間をとられる。その作業はおもに、畳にひろげられた薄い裁板(たちいた)の上だった。1908(明治41)年にその時代の学校裁縫のリーダーだった谷田部順子は、日本女性の姿勢の悪い原因のひとつが、この裁縫の方法にあるとして、「近来心ある学校ではこの弊を防ぐために高い裁板を用いて居ますから、何れ遠からず一般に行われることと思います」と書いている。しかし学校ではふつう立ち机を使うから、問題はない。 女性にとって、針仕事以上に体力的な大きな負担だったのは、屈み洗濯だ。1910年代(ほぼ大正前半期)は大都会の都市部にはほとんど水道がひかれていた。けれどもそれは水汲みがなくなっただけで、主婦がするにせよ女中がするにせよ、洗濯は大盥(たらい)と洗濯板を使っての力仕事だった。医師はしゃがんでする洗濯は、骨盤が充血するため、妊娠初期の女性は流産のおそれがある、ある種の婦人病の前歴のある人は再発のおそれがある、痔の病気になる、秘結(便秘)を起こしやすい、と警告し、盥をなにかの台の上に置くことを勧めている。 アイロンかけも家庭の女の力仕事だった。勤め人の家庭では、夫にアイロンのかかった真っ白いワイシャツを着せることは、主婦の甲斐性だった。現代にくらべると洗濯屋の数は少なく、料金も高かったから、たいていの家ではワイシャツのアイロンかけは家でした。これも机かなにか台の上でかけるように医師は忠告したが、たいていの家では畳の上にアイロン台を置いて、体重をかけてアイロンかけをする。 座式居住様式では、なにかをするのに座った姿勢、あるいはすこしだけ腰を浮かすような姿勢ですることにひとは慣れていた。ちょっと離れたところにあるものを取るのに、這っていって母に叱られる娘がいた。前に屈むことが自然で、後ろにもたれるのは慣れていなかった。座椅子もあったが普及したのは第二次大戦後のことで、電車では履物を脱いでシートに上がり、窓のほうに向かって正座する人が多かった。 1920年代(大正末~昭和初め)に入る頃には、歪められた自分の体型に対する不満から、外科的方法で脊柱湾曲を直し、洋服にむいた、すらりとした体型を取り戻そうとする女性も現れるようになった(→年表〈現況〉1923年3月 「流行の整形手術」都新聞 1923/3/8: 9)。 歩くときの極端な内股も、日本女性の特色だ。1928(昭和3)年にシカゴのデザイナー、ブラウンなる人が銀座を歩く日本女性を見て、ラバーボールを股のあいだに挟んで、これを落とすまいという恰好で歩いているよう、と笑ったそうだ。事実、女は股のあいだに薄紙を1枚挟んで、それを落とさないように歩かなければいけないと教える娘の親がいた。 内股に歩くという意識が過剰になってか、爪先が交差している女性もある。そのため不安定なヨチヨチ歩きになりやすい。逆に豪傑風に爪先を八の字に開く立ちかたがある。日本の芸能ではこれを兵隊足と呼んで嫌う。軍隊では硬い革靴のかかとを強く打ちつけるのが、規律への服従のサインになる。能舞台で見ることができる、足を平行に並べて運ぶ摺り足は、歌舞伎にも受け継がれた。柔道で教える、もっとも安定した、しかもとっさの動きもしやすい自然本体は、足と足を心持ち離し、爪先を心持ち外にひらく。電車の座席で、脚を大股開きにして、靴の先を45度くらいも外に向けている若者を見ることがある。単純には傍若無人というべきだろうが、足先の開き方ひとつにも、その人に擦りこまれている文化と負っている生活の事情の影がある。 (大丸 弘) |