文献番号 | 01_GE008059 |
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著者名 | 田中里尚/タナカ ノリナオ |
書名・論文名 | 服飾雑誌『装苑』にみるアメリカ服飾流行の表象の変容:1930~1950年代を中心に |
掲載誌名 | 文化学園大紀要 人文・社会科学研究 47 |
出版者 | |
発行年月日 | 2016 (1) |
ページ | |
掲載ページ | pp.69-82 |
シリーズ名 | |
OWC | AB;NK |
地域・民族名 | 日本;アメリカ合衆国 |
特定地域名 | |
時代区分 | 20世紀;1930年代;1940年代;1950年代 |
時代通称名 | 第二次世界大戦戦時下;占領期;復興期 |
キーワード | アメリカナイゼーション;アメリカ服飾流行;装苑 |
抄録 | 戦中・戦後期におけるアメリカ文化受容の様相について、服飾雑誌『装苑』という史料を軸にして、その表象の変容を追った。1936年創刊の『装苑』は、太平洋戦争が始まるまでの間、アメリカの服飾流行を好ましく思い、その「合理性」や「経済性」について、パリ・モードよりも高く評価していた。戦争が泥沼化する中でアメリカの服飾流行は否定されていくが、論者の中には一定の評価を与えるものもあった。戦後において、『装苑』は、論説内においてはアメリカ服飾流行に対して一定の距離を置くが、グラビア表現はアメリカンスタイルそのものであり、論説と画像の方向が乖離していた。1949年ごろから、それらの乖離を埋める努力が始まったが、洋裁教育自体がパリを向きつつあったため、アメリカ服飾流行の意味づけで議論となった。1952年には、「アメリカンスタイル論争」が開始され、アメリカ服飾流行への批判が強まった。その結果、アメリカ服飾流行は若者向きで、物質的な力を背景とした既製服製造に最も適合したスタイルとしてのみ描かれるようになった。したがって、日本の戦後において、アメリカ衣料が若者・既製服向けとされるに至った経緯は、服飾雑誌における表象の推移にも見て取ることができよう。 |
身装概念 | BP341.0:[雑誌;雑誌記事;服飾雑誌;ファッション雑誌;ファッション誌;モード雑誌;モード誌] DP051:[流行の予想・予測;流行の現況・総括] CP423:[日本人の外国観] CP421:[文化変容;文化受容] AP012:[服装史;服飾史;歴史的研究;歴史的推移;時間的変化] |
服装専門分類 | AP0:[総記;総記] |
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資料所在 | |
国会図書館請求番号 | |
日本十進分類 | |
版次 | |
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リンク | 国立情報学研究所 CiNii |