| 文献番号 | 01_GE007314 |
|---|---|
| 著者名 | 伊藤亜紀/イトウ アキ |
| 書名・論文名 | 髪を梳く女傑 : サルッツォのマンタ城壁画と『名婦伝』のセミラミス |
| 掲載誌名 | (国際基督教大)人文科学研究 キリスト教と文化 47 |
| 発行年月日 | 2016 (3) |
| 掲載ページ | pp.33-50 |
| OWC | MH;EI |
| 地域・民族名 | イラク;イタリア;バチカン市国;サンマリノ |
| 特定地域名 | サルッツォ |
| 時代区分 | 紀元前9世紀;14世紀後半;15世紀;16世紀前半 |
| キーワード | セミラミス;アッシリア女王;バビロニア;女傑;英雄;髪を梳く女傑;身嗜み |
| 抄録 | サルッツォのマンタ城サーラ・バロナーレに描かれた《九人の英雄と九人の女傑》(1420年頃)は、サルッツォ侯爵トンマーゾ3世(1356?-1416年)による教訓的騎士道文学作品『遍歴の騎士』の登場人物である。そのひとり、二本の槍をもつアッシリア女王セミラミスの姿は、ボッカッチョの『名婦伝』(1361-1362年頃)などで伝えられてきた「男勝りの烈女」や「息子と交わった淫婦」という彼女の本質を説明するものではない。しかしその右隣にいるエティオペの、長い金髪を梳く仕種は、ウァレリウス・マクシムスの『著名言行録』(1世紀)が語る、女王が身繕いの最中にバビロニア陥落の報せを受け、すべてを擲って戦に身を投じたという逸話に合致する。そしてこのセミラミス像は、ギヨーム・ド・マショー『真実の書』写本(1390-1400年頃、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 22545)や『遍歴の騎士』写本(1403-1404年、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 12559)にもすでに見られる。ジェンティーレは、マンタにおけるセミラミスとエティオペの図像の取り違えは、画家が壁画制作にあたって直接手本にした図に起因すると考えた。一方デベルナルディは、『遍歴の騎士』におけるセミラミスとエティオペの詩節が、本来一続きのものであったとみなし、マンタのセミラミスは実際はアマゾネスのメナリッペ、そしてエティオペこそセミラミスであるとした。たしかにエティオペの皇帝冠や宝玉、そして「青地に三つの金の玉座」という、フランス王家と同じ配色の紋章は、彼女が9人の女傑のなかでも特別な存在であることを示している。さらにアーミンで裏打ちされた黄金の縁取りのマントは、下に着た女性の服を覆い隠し、その男性的気質を強調する役割を果たしている。ウァレリウス・マクシムスが語り、ボッカッチョが加筆し、そしてフランスの写本挿絵で視覚化された「髪を梳く女傑」は、代々フランスとの政治的な繋がりを強化し、その文化の影響を色濃く受けてきたサルッツォで、再度大規模に描かれた。しかしこの雄々しくも女性としての身嗜みを忘れないというイメージは、必ずしもセミラミスに限定されたわけではなく、15世紀半ばには他の女傑にも共有されることになる。 |
| 身装概念 | AU143.0:[王侯;首長;酋長;大名;女王] AU211:[戦い;争い;闘争技;武技;武術;射撃;軍事教練;軍事演習] DP262:[わいせつ;異常性行動] DX00:[整髪;理容;理髪;毛髪] BP341:[文献資料] BP342:[絵画資料;造形資料;映像資料;画像資料;服装絵画] |
| 服装専門分類 | AU1:[総記;着用者] |
| リンク | 国立情報学研究所 CiNii |