文献番号 | 01_AR066394 |
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著者名 | 西原大輔/ニシハラ ダイスケ |
書名・論文名 | 近代日本絵画のアジア表象 |
掲載誌名 | (国際日本文化研究センター)日本研究 26 |
発行年月日 | 2002 (12) |
掲載ページ | pp.185-220 |
OWC | AB;A |
地域・民族名 | 日本;アジア |
時代区分 | 19世紀後半;20世紀前半 |
時代通称名 | 近代 |
キーワード | 宮本三郎;黒田清輝;児島虎次郎 |
抄録 | 1867年の高橋由一による上海渡航以来、近代日本の画家たちは、アジアを描き続けてきた。本稿は、エドワード・W・サイードのオリエンタリズム論を利用して、近代日本絵画におけるアジア表象を分析したものである。『オリエンタリズム』でサイードは、19世紀フランスにおけるオリエンタリズム絵画の流行については、ほとんど論じていない。しかしサイードの議論を引き継いだリンダ・ノックリンは、そこに西欧中心主義が見られると主張している。では、アジアの植民地を描いた近代日本絵画にも、サイード的意味でのオリエンタリズムは存在するのだろうか。画家藤島武二は、1913年に朝鮮半島を旅行したが、その紀行文のなかでフランスのオリエンタリズム絵画に言及している。藤島は、フランス絵画に植民地アルジェリアをテーマとした作品が多いと述べた上で、日本人画家も新植民地朝鮮を美術の題材として積極的に開拓すべきであると言う。また、アジア女性を描いた近代日本の肖像画には、フランス絵画のオダリスクの主題から影響を受けたと考えられる作品もある。さらに梅原龍三郎は、アジアの植民地にこそ鮮やかな色彩があり、日本にはそのようなものはないと語っている。これらは、日本絵画がオリエンタリズムの影響を受けたことを物語っている。しかし、アジアを描いた近代日本絵画を、サイードのオリエンタリズム論で説明しつくすことはできない。和田三造らによる多数の作品が、日本とアジアの共通性を強調している。児島虎次郎の絵にみられるように、非西洋である日本は、「自己オリエンタリズム」によって、「東洋人」としてのアイデンティティを形成してきた。従って、宗主国日本もアジアの植民地も同じ「東洋」と見なされる。大日本帝国は、植民地も日本も等しく「東洋」であるという言説によって、支配の正当性を確保しようとしてきた。アジアを描いた近代日本美術にも、同質性の強調という特徴を見出すことが可能である。 |
身装概念 | BP342:[絵画資料;造形資料;映像資料;画像資料;服装絵画] CP424:[外国人の東洋観;オリエンタリズム;シノワズリー] CP423:[日本人の外国観] AP012:[服装史;服飾史;歴史的研究;歴史的推移;時間的変化] |
服装専門分類 | AP0:[総記;総記] CP4:[貿易・国際関係;総記] |
リンク | 国立情報学研究所 CiNii |