文献番号 | 01_AR003169 |
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著者名 | 岡綾子 ; 野津哲子/オカ アヤコ ; ノツ テツコ |
書名・論文名 | 古代服装研究(6) : かぶりものの変遷(2) |
掲載誌名 | 島根県立島根女子短大紀要 11 |
出版者 | |
発行年月日 | 1973 (3) |
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掲載ページ | pp.32-39 |
シリーズ名 | |
OWC | AB |
地域・民族名 | 日本 |
特定地域名 | |
時代区分 | |
時代通称名 | 古代 |
キーワード | |
抄録 | 大和朝廷の勢力は5,6世紀頃から増大し用明天皇の妹の推古天皇が即位され、聖徳太子の摂政となった。皇室勢力を基礎に統一国家の理念を確立せんとされたのが太子である。太子の事業は冠位の制定で勲功に従って人々に冠を与え、冠の色の相違によって位階の上下を示すようにしたものであり、これまでの姓が原則として氏に属し、世襲を本位としたのに対し冠位は個人に属し一身限り、門閥打破、人才登庸の意義の深いものであった。しかし位を12階に分け、これに6個の名称をあたえ大小を冠した。冠は朝廷出仕の際のかぶりものであり、公家の大小の儀礼行事、神事祭礼の奉仕にも用いられた。唐制の〓頭を継承した養老の衣服令所載の頭巾と呼ぶ4脚のかぶりものから変化したものである。地質に羅(ら)・紗(しや)などの薄物を用いたので、かぶってから髻(もとどり)との当たりをやわらげるために前に巾子(こじ)とよぶ壺(つぼ)を設け、これに髻を納めてかぶり、後部の2脚で引締め、結び余りを長く垂下して燕尾(えんび)といい、これが形式化して纓(えい)となった。また他の2脚は左右にあってかぶってから頭上にとり、巾子の前方で結んだがこれも面影を伝えて上緒(あげお)と後綱(うしろづな)になった。 |
身装概念 | AP01:[服装研究] AW3X:[かぶりもの] AW302:[冠型(日本律令風)] AP012:[服装史;服飾史;歴史的研究;歴史的推移;時間的変化] |
服装専門分類 | AW3:[総記;かぶりもの] |
資料タイプ | |
資料所在 | |
国会図書館請求番号 | |
日本十進分類 | |
版次 | |
備考 | |
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リンク | 国立情報学研究所 CiNii |